浅野の地

1 正高寺
本尊・・阿弥陀如来
          
        恵信の作           
   京都東本願寺直末寺である。      
   天台宗であったが文明6年(1474)
  真宗に転じ永正11年(1514)住職 
  光慶によって正高寺と改名された。
2 禅林寺
 
〇木造薬師如来坐像(重要文化財)           
 この仏像は平安時代後期11世紀のころの作と言われ、彫技も立派で端正なお姿 は、この地方の傑作であると言われています。           
 
明応6年(1497)に修理された記録があり、以後も修理が行われましたが、昭和8年に大修理が行われました。                   
 この仏像は昭和6年に国宝に指定され、 現在は、重要文化財となっています。
 
〇芭蕉俳句
 門前には文政2年(1819)に建てられた芭蕉の句碑があります。
 「庭掃て出るや寺に散柳」の句がほられています。
    
3 常保寺
 
 この来迎図は鎌倉末期の製作と推定されています。白雲に乗って下降する金色身の三尊が描かれています。昭和57年に市指定文化財 となりました。
 
〇天然積み石垣
 
 常保寺の回りに立派な石垣がありますこのような丸石による天然積みの手法は、室町時代から江戸時代をへて伝えられたそうです。この技術をもって昭和6年・7年に、木曽川の玉石を大小取り交えて、整然と組み合わせた石垣はめずらしい境内には、市指定の天然記念物であるイチョウの木があります。樹齢300年近い木は、今も雄大な姿をして空にそびえています。










 
4 東福寺
 
〇 薬師如来(歯守りと称す)           
 本尊薬師如来は、鳳来寺峯の薬師如来と同木同作で弘法大師の作との説あり。   阿部仲麿が歯痛を祈願し参詣した明治初年には、底抜け杓子を奉献する者が多くあったという説もあります。

5 浅野公園
 浅野公園の地は16世紀のころ、浅野家の祖先以来の宅地で、浅野長政が栄進してこの地を去ってから、杉浦氏が戦死後廃城となり、以後耕地となっていましたが、地形は昔ながらの姿を残していました。大正3年浅野史跡顕彰会を組織し、裔孫浅野長勲侯の援助を受け、全地域を公園として設計されました。丹羽郡全域の人々の協力と奉仕によって、大正6年に完成させ保存しました。
    昭和25年、一宮市に移管し現在の浅野公園となりました。

○ 浅野家
 16世紀の中ごろ、この地に浅野又右衛門長勝とその後妻七曲が住んでいました。この夫婦のもとで、七曲のめいねねを養女として、長勝のおい弥兵衛長吉を養子として、先妻の子や やの3人が幼少のころ、兄弟姉妹として生活していたと想像できます。弥兵衛長吉は晩年になって浅野長政と改めました。父と同じ織田信長に仕えていましたが、命によ り豊臣秀吉に仕え幾多の戦いに戦功を上げ、立派な武将にとなりました。秀吉晩年のころ五奉行のひとりとして内政に活躍しました。秀吉死後、徳川家康に近づき関ヶ原の合戦では秀忠に従いました。      
 長政のあとつぎ幸長は、関ヶ原の合戦に功をたて和歌山の大名となりました。以後、広島に移り江戸時代の終わりまで栄えました。
 赤穂義士で名高い浅野内匠頭長矩はこの分家であったと言われています。
 ねねは木下藤吉郎後の豊臣秀吉と結婚し、秀吉の日本統一の偉業を助 け賢婦人のほまれが高いのです。秀吉が関白となり政所は従一位に叙せられ、女性最高の地位につきました。秀吉死後、高台院湖月尼と称し仏門に入りました。
 ややは浅野長政と結婚し、長政が立派な功績をあげる心の支えとなりました。
 孫娘は尾張藩祖徳川義直の夫人となりました。
浅野長政公
 
〇 浅野城
 
 浅野長政がこの地を去ってから、杉浦五左衛門道祐が住み浅野城をかまえました。杉浦氏は織田信雄に仕え、後、岐阜中納言秀信に仕えました。関ヶ原の戦いには西軍に加担し、美濃の竹が鼻城で東軍と戦い戦死しました。
城趾図面
 
〇 浅野公園の樹木
 
 浅野公園には大きく立派な木がたくさんあります。それに、種類も多く、春・秋の変化を楽しむことができます。五月、町内あげてのつつじ祭りには、つつじや藤の花が咲ききそい、大勢の人々でにぎわいます。これらの木々は、公園をつくる時に植えられたものや、それ以後植えられた物です。中には町内の人々や公園を大切に思う人から寄付された木もたくさんあります。昭和43年、伊勢湾台風の時には、強い暴風雨のために大きな木がたくさん倒れました。これを見て公園を愛する町内の大人も子供も、総出でたてなおしたと言われています。公園内には珍しい木があります。
 
 
※アンニャモンニャ(2本)
 一名ひとつばたごといいます。この木は大正11年に丹羽郡池野村の人から寄贈されたものだそうです。当時は苗木を自転車に乗せてたいへん難儀をして運んできたと言われています。今では太く大きな木に成長し、春には白い小さな花をいっぱいつけます。
 
※朝鮮白松(三葉松)
 学名ブンゲアナといいます。この木は、日本にはたいへんめずらしい物で、中国や朝鮮半島に見られるそうです。明治43年、今の韓国のソウルの地で老木の果実を集め、日本に持ち帰り育てた広島の人から、大正14年に寄贈されたものだそうです。今もその子孫が成長しています。