社会科の時間、木曽三川分流工事についてインターネットで調べました。 難しい漢字もいっぱいあって調べるのに結構苦労しました。 |
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6つのグループに分かれて、一人ずつ調べたことを画用紙程度の紙にまとめました。そしてそれをB紙に貼っていきました。 | |
いよいよ発表です。 調べたことをみんなの顔を見ながら発表できるように練習しました。 |
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発表は、1.2組合同でふれあい広場で行いました。 大勢の前で発表するのはとても緊張しました。 |
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発表した内容は、 「濃尾平野南西部のあたりのようすについて」 「輪中に住む人々の願いについて」 洪水を防ぐための工事はどのように行われたか」 |
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「工事には、どのような苦労があったのだろう」 「明治の分流工事はどのように行われたのだろう」 「木曽三川公園について調べよう」 |
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濃尾平野南西部のあたりでは、木曽川・長良川・揖斐川の三つの川が入り組んでいて、海より低い土地のあるこのあたりは、たびたび洪水の被害を受けました。 |
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輪中の中で暮らしていた人々は、洪水のたびに自分たちで工事を行ってきましたが、度重なる洪水に困った人々は江戸幕府に助けを求めました。 しかしあまりにもお金がかかるのでなかなか工事を始めることができませんでした。 |
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ついに幕府は、九州の薩摩藩に三つの川の流れを分ける工事を命じました。薩摩藩は困りましたが、平田靱負を中心にして工事にあたることにしました。 工事のために薩摩から約1000人の武士がやってきました。 地元の村々からも大勢の人たちが集められました。 |
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油島堤防工事に取りかかって困ったことは工事に使う石 や材木が近くになかったことです。 大ぐれ川洗堰工事も始まりました |
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薩摩藩がこの工事で使ったお金は、藩が使うお金の2年分に当たりました。このお金は平田靱負が大坂の商人に 何度も頼んで借りたり、藩内で集めたりしたものです。 薩摩の武士の中には、慣れない仕事のために病気になって死ぬ人や、幕府のやり方に腹を立てながらも藩のために幕府の役人とけんかすることできず、切腹する人もいました。 |
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みんなそれぞれのグループの発表を真剣に聞いていました。 クイズ形式で発表したり、グラフを書いて説明したりそれぞれ工夫を凝らして一生懸命発表できました。 |