岩塚古墳

   現在は,石室の部分だけが残されています。山石と川石を用いて築いた横穴式石室の中に,
凝灰岩をくりぬいた家形石棺が置かれています。その北側に副葬されていた大型長頸瓶(ちょうけいへい)は,
とても大きく(45cm)他では,あまりないものです。暗緑色のうわぐすりがついています。

  中央に家形石棺が見えます。
 石室を安置したあと,石室の入り口の方に木棺を納めたようです。これは,家族のものと考えられます。
  近くにある石碑には,どんなものが発掘されたか書いてあります。
  7世紀後半の須恵器,鉄製品などです。
   岩塚古墳が発掘された当時の様子が,一宮市博物館に展示してあります。ぜひ見学に行ってください。
   石棺の周囲に,大型長頸瓶(ちょうけいへい)などが置かれていました。
   その他の埋葬品も展示してあるので調べてみましょう。

毛無塚古墳

 浅井北古墳群中最大で,上に登るとその大きさが実感できます。
 かつては,周囲には堀がめぐらされていて,古墳のまわりには,
形象埴輪や円筒埴輪が並べられていました。

桃塚古墳

   墳丘が低く,規模も小さいです。
   以前,桃の木が植えてあったことから,桃塚と命名されています。

説明板があります。

愛宕塚古墳

前方部分は福寿寺境内に接していましたが,道路で絶たれ,今は後円部分のみが
民家に囲まれ残っています。入り口が小さく分かりにくいです。石棺が発見されています。

小塞神社古墳

前方後円墳で,後円部分に神社が建てられています。

   埋葬されているのは,小塞宿祢(すくね)弓張と伝えられています。
  内掃部ノ正外従五位小塞宿祢弓張は,尾張の族で尾関の人です。
  宮に仕え洛中左京に住み,宝亀(8年)777年弓張(当時小五位上)で宿祢姓を賜りました。
  以前,尾張姓を名乗っていたので,後に(782年),桓武天皇に尾張姓に復帰したいと願い出て許されました。
  裏へまわると,古墳の上に神社が建っていることが分かります。
図の様に,後円部分に神社が建っています。